東洋医学の歴史 【今日のお題 活心はりきゅう堂】
2022/08/15
No148 東洋医学の歴史
お盆休みのど真ん中ですね♪
Uターンラッシュはもう終わったのでしょうか?
これは京都あるあるだと思いますが、どこかに出かける!となると、滋賀方面もしくは京都北部方面が必ず渋滞します(^^ゞ
そして帰りはその逆が渋滞になる…
京都の人は「遊びに行く」となると、京都北部か滋賀県に行く人が多いということですね(^^)
さて今日のお題は
「東洋医学の歴史」
です。
ブログのネタとしてずっと考えていましたが、誰が興味ある?
と思って避けてきていました(^^;
しかしそういう話しをすると、数人の方から
「興味ありますよ!」
という声を頂いたので、少し長くなりますが書いていきますね♪
まず東洋医学=鍼灸や漢方
と思っている方が多いと思いますが、厳密にいうと少し間違っています。
日本では鍼灸や漢方のことを「東洋医学」と呼びますが、世界では鍼灸や漢方のことは
「中医学=中国伝統医学」
と呼んでいます。
発祥は中国ですから。
そして中国でいう東洋医学とは
「日本伝統医学」
を指します。
中国の東側にある国は「日本」だけなので(^^ゞ
そして「東洋医学」と言っても色々な治療法が存在します。
有名なのは
鍼灸
漢方
です。
しかし実際は
・鍼灸…鍼やお灸を使って刺激をする
・漢方…生薬(葛根湯など)を配合して、薬で治療する
・薬膳…ツバメの巣や香辛料を使い、料理で予防をする
・推拿(すいな)…現代のマッサージとカイロプラクティックをあわせたような整体療法
・気功(きこう)…呼吸法と瞑想
・導引(どういん)…主に体操。五禽戯(ごぎんぎ)といって、動物を真似たポーズと体操をおこなう
という種類があります。
もう難しいかもしれませんね(^^ゞ
とりあえず東洋医学にはこれだけの種類の治療法があると思っておいてくださいm(__)m
では鍼灸をみていきます。
古代中国の春秋戦国時代は様々な思想が開花しました。
(孔子や老子、孟子、荀子、韓非子などなど…孔子の論語は有名ですね)
有名なのは「秦の始皇帝」の時代には鍼灸は「医療」として確立していた!
というのですから、驚きです(^^ゞ
そして様々な思想の中から
「陰陽五行説」という哲学思想・世界観が生まれました。
陰陽とは太極図でよく表すことが多いですね。
これです。
これは
黒=陰
白=陽
を表しています。
そして勾玉のような図の中に、お互いに「小さな点」が描かれています。
これは
「陰の中にも陽がり、陽の中にも陰がある」
という考えです。
例えば男女で考えるなら
男=陽
女=陰
です。
しかし男性の中にも女性的な部分はありますし、またその逆で女性の中にも男性的な部分があります。
そういうことを表し・考えがあるのが
「陰陽論」
です。
五行説は以前ブログに書いたので、もしよろしければそちらをご覧ください♪
五行説→https://kei-kasshin-2014.space/blog/detail/20210611113112/
図で表すと
これです♪
説明は省きますね(^^ゞ
そしてこの思想から
「黄帝内経(こうていだいけい)」
という書物が書かれました。
よく黄帝内経=こうていないけい
と読まれますが、間違いです。
黄帝内経=こうていだいけい
です。
ちなみに
ユンケル黄帝
の黄帝はここからきている!
とされています♪
この黄帝内経は
「黄帝内経素問(こうていだいけい そもん)」
「黄帝内経霊枢(こうていだいけい れいすう)」
の2冊あります。
この黄帝内経素問・霊枢が中国、韓国、日本の伝統医学の源流になっています(^^)
そして秦の次の時代「漢」の時代に黄帝内経の解説本
「難経(なんぎょう)」
が書かれました。
この難経は日本の鍼灸の大きな影響を与えました!
現代の鍼灸の治療法のなかに「経絡治療」というものがあります。
その経絡治療の考え方は「難経」です。
つまり2000年以上前に考えられた治療法が現代にも生かされています♪
難経の治療法=経絡治療
に関しては、別のブログで書きますね(^^)
そして時は流れ、日本の奈良時代(710~784)に仏教の伝来とともに、日本に「鍼灸」が輸入されました。
「日本書紀」に朝鮮半島から鍼灸や漢方が伝来したことが書かれています。
これは
「韓医方(かんいほう)」
と呼ばれました。
中国医学は朝鮮半島経由で日本に入ってきました♪
そして平安時代(794~1185)には律令制度で「鍼博士」や「按摩博士」といった役職が宮内庁にありました。
鍼師という国家資格は1000年以上の歴史があります♪
まぁ当時の国家資格はめちゃくちゃ難しいので、現代の鍼灸師はだれも合格できないだろう…
と言われています(^^;
そして平安時代に
「丹波康頼(たんば やすより)」
という人物がいました。
彼が書いた
「医心方(いしんぽう)」
という日本最古の医学書があります。
この丹波康頼の子孫は明治時代まで代々天皇家の侍医として活躍しました♪
ちなみに2006年に亡くなった俳優の故・丹波哲郎さんはこの家系の子孫にあたるそうです。
ん~やはり長くなってしまいました(@_@;)
ここまで書いてやっと平安時代です( ̄▽ ̄)
これから日本独自の発展や衰退などがあります…
一気に書くとまだまだかかるので、今日はここまでにしておきます(^^;
次のブログで続きを書きますね♪
残りのお盆休みを楽しんでください(^o^)
ではまた次回のブログでお会いしましょう(^^)
keiトレーナールーム 活心はりきゅう堂 長谷川敬祐