keiトレーナールーム活心はりきゅう堂

約11年間、本当にありがとうございましたm(_ _)m

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2025/02/20

No313 約11年間、本当にありがとうございましたm(_ _)m

2月も下旬に差し掛かっていますが、本当に寒い日が続いています(>_<)

2月の上旬だった2週間前の寒波は分かりますが…

この下旬にこれだけ寒気が長く居座るのも珍しいですね。

暖かい春が待ち遠しいです(^^;

 

そして今日、2025年2月20日(木)で治療院を閉めます。

2014年、5月20日に東向日で開業しました。

今から11年前ですね。

当時私は30歳でした。

21歳から一人暮らしを始め、25歳まで渡辺接骨院で働きました。

この業界に入り、修行していた時期です。

当時はトレーナーの専門学校を卒業したときで、鍼灸師の資格はもっていませんでした。

「治療のできるトレーナーになりたい」

これが鍼灸に進んだきっかけです。

柔道整復師と鍼灸師。

似たような職業ですが、資格が違いますし、できることも違います。

ほとんど同じですが、細かく見ると法律も違います。

トレーナーの専門学校を出たあと、どちらに進学するか?

を決めるとき、専門学校の資料を取り寄せ色々見ました。

柔道整復師のほうは「包帯を巻いている」「ストレッチをかけている」など、トレーナーと同じようなことをしている写真ばかりでした。

鍼灸師のほうは「鍼をしている」「お灸をしている」と、「何か物を使って、治している」

と思いました。

それだけの理由で単純に鍼灸の道に進んだのです(^^;

 

渡辺接骨院に就職すると同時に鍼灸の専門学校に通いました。

昼間部という枠がある専門学校だったので、朝は接骨院で働き、お昼の休憩時間に学校へ行き勉強。

そして夕方に帰ってまた接骨院で働く。

という感じでしたね。

一人暮らしも初めて。働くのも初めて。

4月から生活が激変したので、最初の2か月で7~8kg痩せたのを覚えています(笑)

あまりにキツさに

「俺はなんでこんなことをしているんだろう…」

と思った時期もありましたね(^^;

しかし

「自分で治療のできるトレーナーになろう!と決めたんだから、頑張らないといけない!」

と言い聞かせ、頑張っていました。

鍼灸の勉強と同時にアスレティックトレーナーの勉強もしていました。

今は試験制度が変わりましたが、当時は「基礎筆記」という試験に合格しないと「実技試験」が受験できませんでした。

この基礎筆記試験がとてつもなく難しい試験だったので、基礎筆記に受かるだけで3年かかりました。

基礎筆記の勉強、鍼灸の国家試験が重なったときは家のTVにガムテープを貼って見れないようにしていましたね(^^;

「若い時の苦労は買ってもせよ」

という言葉をカレンダーの裏に書いて、壁に貼っていました。

 

21~23歳は働きながら、鍼灸の学校へ通う。

24歳の時に無事に鍼灸師合格。

25歳のときに念願だったアスレティックトレーナーも合格します。

そして26歳のときに渡辺接骨院を半分辞めました。

半分…というのは白衣を着て接骨業務からは離れて、フリーで動きたいから!

というものでした。

トレーナーの資格を取っただけで、現場経験が足りていませんでした。

と同時に鍼灸(東洋医学)の勉強が本当に面白くて、そちらも勉強したい!

と思い、これは接骨業務をしながらでは無理だ!

と思って、トレーナー業務は続けるけれど、接骨業務からは外れる。

という形を取りました。

契約社員みたいなものです。

そのころに鍼灸の師匠から競馬のジョッキーさんを紹介してもらえました。

26歳の時ですね。

トレーナーとしては桃山学院大学、京都すばる高校の女子バスケを続け、往診という形で水曜の日中、金曜と土曜の夜は滋賀県の栗東へ行っていました。

これが29歳まで続きます。

そして30歳になる直前に桃山学院大学やすばるのトレーナーを辞めます。

得るものは続けていく限り当然ありますが、現場経験というものはある程度できました。

桃山学院大学のラグビー部の試合、合宿に帯同し脳震盪以外の怪我ではビビらなくなりました(笑)

あれは本当に貴重な経験でしたね。

脳震盪は生命にかかわる場合があるので、今でも緊張しますが、それ以外の怪我は「あ~それね」と思うようになりました(^^;

このフリーで動いている間に「異業種交流会」などにも色々参加していました♪

接骨院業界という狭い世界ではなく、色々な世界を見たかったのです。

井の中の蛙になりたくなかったので(^^;

 

当時の写真があったのでついでに載せておきます♪

桃山学院大学でトレーナーをしているときです。

ちなみにこのストレッチををかけている選手は現在京都サンガFCに所属している圍 謙太朗選手です♪

これらは桃山学院大学でトレーナーをしているときに現場でテーピングを巻いているときです。

そしてジョッキーさんたちです。

もう引退されましたが、植野 貴也騎手です。

上から

難波 剛健騎手

小崎 綾也騎手

菱田 裕二騎手

です♪

30歳で京都へ帰り、開業することになります。

20代のほとんどを「兵庫」「大阪」「滋賀」が活動していたので、地元の京都!

といっても今までの知り合った方がまったくいない状態でした(^^;

私の実家は上桂です。

そこから通える場所、なおかつもし今まで診ていた方々が来てくれる!

となったときに通いやすい場所。

ということで東向日になったのです。

阪急の駅から徒歩4分くらいの場所でした。

これなら大阪からでも来れる。

JR向日町からは徒歩10分くらいでした。

そういったことから東向日に決めました。

懐かしいですね。

東向日にあった治療院の入り口です♪

今は取り壊され、新築のアパートが建っています。

 

2014年に開業し、その間に色々なことがありましたね。

個人的なことでは結婚し、子供にも恵まれました♪

治療院をしながら、週末は栗東や高校サッカーの現場に行く。

忙しいながらも充実した日々を送っていましたが…

2020年のコロナで変わりました(>_<)

ジョッキーさんの元には行けず、高校サッカーも活動ができない…

大変な時期でした。

 

私の理念は

「トコトン向き合い、目の前の方を診る」

です。

治療院の壁に貼り、毎日読み上げていました♪

整骨院さんなどの保険が効く治療院さんとは違い、実費のお金を頂いています。

その代わり、治るためなら時間などは度外視して向き合う!

でした。

これは一貫してきました。

これが気に入って通院してくださる方も徐々に増えてきていましたが…

 

2022年、建物が老朽化になり、取り壊すから出て行ってほしい!

と言われ、3年前に現在の一文橋に移転してきました。

 

この3年間なんとか頑張ってきました。

しかし、お恥ずかしい話ですが…経営的に難しくなりました(>_<)

お店が繁盛しての栄転移転ではなく、強制移転だったので…

 

まぁ言い訳ですね(^^;

自分でなんとか頑張りたかったですが、限界を向かえました。

 

30代の全てを一人治療院という形で過ごしてきました。

3月1日からは下記の整骨院で勤務します。

駐車場もあるので、来ていただけると嬉しいです♪

ただ、担当制ではないので、私が診れるとは限りません(>_<)

そして治療方法もまったく違うでしょう。

当たり前ですが、今までしていた私の治療はできなくなります。

新しく勤める治療院の方法にしなくてはいけないのでm(_ _)m

 

https://nishikyou-seitai.com/

 

もし来ていただけるのではあれば、その辺りはご理解くださいますよう、よろしくお願い致します。

ちなみに高校サッカーの仕事は継続します♪

 

最後のブログなので、今までで一番長い文章になりました(笑)

最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございますm(_ _)m

 

この4月で41歳になります。

40代での転職、難しいかな?

と思いましたが、なんとかなりました♪

 

ブログの中にはなりますが、約11年間keiトレーナールーム 活心はりきゅう堂を本当に、本当にありがとうございました。

私は幸せでした。

今までの経験を生かして、これからも頑張っていきます!!!

皆様もお体にお気を付けくださいm(_ _)m

これで最後です。

本当にありがとうございました!!!

長谷川敬祐

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